田岡総研文書ファイル

師を得る
 あなたには、師と言える人がいらっしゃいますか。
 多くの成功者達は師に出会い、師から学びその後でオリジナルのものを作って成功するようです。
 私も今は修行の身ですから、師を持っております。心の師、商売の師、話し方の師など、私にはおかげさまで、沢山の師がおります。
 多くの人は「師と仰ぐにふさわしい人との、出会いが無い」事を嘆きますが、本当にそうでしょうか。
 私も最初は師を持つ事が出来ませんでした。師には完璧さを求めたからです。自分にふさわしい、立派な人物をイメージしておりましたので、なかなか出会えなかったのです。
 「自分にふさわしい」という考え方には、たいへんな「おごり」が潜んでいる事に、当時は全く気付かなかったのです。だから師にめぐり合う事が出来ませんでした。
 どんなに立派な人にも欠点はあります。何かに秀でている人ほど、強烈な悪い面を持っている事が多いのです。
   しかし、本当に道を求めると、人の欠点なんて見えなくなります。その人の良いところだけしか見えなくなるものです。この事は何かを必死に求めた事のある人、謙虚な気持ちになった事のある人でなければ理解できません。
 真剣になったら、人の悪い点なんて見ている暇がなくなります。悪いところを「見て見ないふりをする」のではなく、「見えない」のです。
 師を持つ事の大切さは、多くの成功者達が言っている事です。謙虚に学ぶ姿勢があれば、誰にだって何処にだって師は出現します。
 仏教では「因縁」が大切だと言われております。
 「因」とは自分自身が心の中で思う事、つまり志とか、ビジョンとか目的意識です。
「原因、我にあり」。日ごろのものの考え方や行動に現れる思考様式も「因」です。この事が大切だと論じる書物や教育教材は、古来、山のようにあります。
 仏教では「因」と並んで「縁も」大切だと説いております。
 「縁」とは「人との出会い」です。「袖すりあうも、他生の縁」。出会った人は大切なのです。出会いには何か意味があるとされております。
 その「縁」の中でも、師との出会いは格別大切です。
 人は「誰かに見出されて初めて、世に出させて頂く事ができる」と言われます。私もそうでした。
 「因」が成功の種であるならば、「縁」はその種を発芽させる水のようなものです。どんなに種が立派でも、水なしでは芽を出す事はできません。
 不幸な事に、まだ師にめぐり会えていない方は、師を探す事から始めたらいかがでしょうか。きっとすぐ近くに素晴らしい師がいらっしゃると思います。

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