| 田岡総研文書ファイル |
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| 論語/学而篇「人知らずして」 |
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孔子は今から約2500年前に生きた人物である。 幼い頃からずいぶんと苦労したようである。人間には苦労して良くなる人と、苦労して駄目になる人がいるようであるが、孔子は前者であり、私たちに健全な勇気を与えてくれる。 幼い孔子にはいわゆる幸せな家庭は無かった。父は孔子が生まれてすぐに死に、母も事情があって別に暮らしていた。少年孔子は自分でお金をためて不幸な母を引き取るがすぐに死んでしまう。人より遅れること2年、勉強を始めて、どんどん出世する。そしてついには今の日本で言うと総理大臣クラスにまで成るが、クーデターで失脚。54才になって遠方の国、衛(えい)に向かって14年間の流浪の旅が始まる。故郷の魯(ろ)に戻ったのは68才。もう一度政界に復帰するよう熱望されたが政治とは縁を切り、死ぬまで門下生の教育に一生をささげた。享年74。 世界3大聖人の1人(残る2人は釈迦とキリスト)に数えられるが、他の2人と異なり神秘伝説は無い。これは孔子自身がそのような話を一切嫌ったからである(子、怪力乱心を語らず:述而編) 苦労人にして人を大切にする人間孔子は我々に親しみと尊敬の念をいだかせる。その孔子の「論語」の中で、一番最初に出てくる(学而第一)言葉が表題の言葉である。原文は次の通り。 「子曰く、学びて時にこれを習う、また説(よろこ)ばしからずや。朋有り遠方より来る、また楽しからずや。人知れずして慍(うら)みず、また君子ならずや。」 文意は(私なりの意訳であるが)「人の話を素直に聴いて、すぐ行動を起こす。これが生きた学問というものである。勉強は1人でやると、寂しくて脱落したり、逆に判ったつもりになって有頂天になってしまいがちなので、学友を作り、定期的に会うこと。知識の勉強と違って、生きた学問を積んで行くと人間は飛躍的に進化して、俗世間の人間とは考え方自体のレベルが違ってくるので、学んだことを人に話しても凡人はとうてい理解できない。それどころか批判的に攻撃されることが多い。相手が判ってくれないからといって相手を怨んではならない。それが立派な人(君子)の行動である。」となる。 これから帝王学を学ぶ我々にぴったりなはなむけの言葉である。 とりわけ、「人知れずして慍(うら)みず」が大切である。私たちの勉強は人に理解してもらったり、人にひけらかすのが目的ではない。ましてや人から高い評価を頂くのも全く目的ではない。だからといって意固地になって自分本位の考え方になるのも目的に反する。私たちがなぜ帝王学を学ぶのか。目的は人のお役に立つためである。そのためにはまだまだ謙虚に学ばなければならない。 この事を理解できれば「人知れずして慍(うら)みず」の域に達することができるのであるが、つい忘れてしまう。私たちの成長を阻害する、「慢心」を自らうち砕くためにも忘れてはならない言葉である。 ***** 著作権表示:株式会社田岡総合研究所 田岡將好 ***** この文章をコピーしたり、配布したり、社員研修等で使っても多いに結構ですが、 著作権表示を消さずにお使い下さるようお願いします。(http://www.taoka-s.com) |