田岡総研文書ファイル

孔子と孟子「礼の心」
〜田岡総研幹部研修会レジュメから抜粋〜
礼・・・孔子は礼を、「仁を表現する方法」と考えた。形式よりむしろ心が大切だと考えた。
 論語に「林放(りんぽう)、禮の本(もと)を問う。子曰わく、大なるかな問うこと。禮は其(そ)の奢(おご)らんよりは寧(むし)ろ儉(けん)せよ。喪は其(そ)の易(おさ)めんより寧(むし)ろ戚(いた)め」(林放問禮之本。子曰、大哉問。禮興其奢也寧儉、喪興其易也寧戚)(林放という人が孔子に礼の本質はなんですかと質問すると、孔子は、なんと大きな問題を持ち出したものよ。しかしよい問いだ。礼とは豪華に行うよりはむしろ質素に行った方がよく、葬式は形式にこだわっていろいろ整えるより、本当に故人の死を痛んで心からの追悼の情が出ている方がいいのだ)、とある。
 とかく形式にこだわりすぎて、決まり事どおりに事を行うのはかえって失礼な場合がある。礼儀作法を詳しく知っている人が、知らない人にいちいち忠告するのもいかがなものか。大切なのは気持ちである。たいての場合は、相手の気持ちを察して(これこそが仁である)相手の気持ちに沿うようにするのが礼である。
 食事のマナーに気をとられて、おいしくいただく気持ちがなければ、食事を作ってくれた人や食事に招待してくれた人の気持ちに沿う事はできない。人に不快感を与えるような食べ方や、迷惑をかける事も、もちろん同席者の気持ちを害するのでこれも仁に反するが、いちいち作法をやかましく言うのもやはり仁に反する。  礼儀作法やマナーはその国・土地・家庭により異なる。たいていのやり方にはそれぞれ意味があり、その根本は相手の気持ちを大切にするという意味が込められている。  したがってどんな場合でも何か分からない事があれば主催者や相手に聞くのがいちばんよい。「郷にいれば郷に従え」とはこの意味であり、知ったかぶりをして形式にこだわっているのはかえって失礼になる。
 同じ論語に「子、大廟に入りて、事ごとに問う。或る人曰く、孰(たれ)が?(すう)人の子、禮を知ると謂(い)う乎(や)。大廟に入りて、事ごとに問う。子、之(これ)を聞きて曰く、是れ禮なりと」(子入大廟、毎事問。或曰、孰謂?人之子知禮乎。入大廟、毎事問。子聞之曰、是禮也)(孔子が周公の廟(お墓)に参られた時に、何事をするにもまず係りのものに尋ねられました。これを聞き伝えた者のなかに「?(すう:地方の名前)の田舎者の子が礼を知っているなんて誰が言うのだ。廟に入って事ごとに質問したと言うではないか。何も知らない証拠だ」と。これを聞き伝えた孔子は「これが礼なのだよ」と答えた)
 論語を読む限り孔子のいう「礼」とは「仁を表現する方法」であり、相手への思いやりや慈しみ、尊敬、同情、友愛など情を伴うものを具体的に表現する方法である事は間違いないのである。
 孔子没後、孟子(もうし)などはさらに礼の心について深くその大切さを強調した。しかし、徐々に礼は形式主義に転化し、同じ儒教の流れをくむ筍子にいたっては性悪説から、儀礼と倫理を強調し、さらに韓非子などの性悪説者は法律万能主義で民衆を法律と規則、懲罰と形式的儀式とでがんじがらめにし、日本の今日の儀式や礼法にも少なからずその影響を与えた。
 孟子は孔子と同じくらいに、むしろ孔子以上に礼の心を大切にし形式的礼儀を賤しんだ。
 孟子の離婁章句下に「孟子曰く、君子の人に異なる所以は、其の心を存(省)(かえり)みるを以ってなり。君子は仁を以って心をかえりみ、礼をもって心をかえりみる。仁者は人を愛し、礼ある者は人を敬す。人を愛す者は、人恒(つね)に之を愛し、人を敬する者は人恒に之を敬す。此(ここ)に人あり、その我を待つに横逆(おうぎゃく)を以ってすれば、則(すなわ)ち君子は必ず自ら反(かえりみ)みるなり。我必ず不仁ならん、必ず無礼ならん。」(孟子曰、君子所以異於人者、以其存心也、君子以仁存心、以禮存心、仁者愛人、有禮者敬人、愛人者人恒愛之、敬人者人恒敬之、有人於此、其待我以横逆、則君子必自反也、我必不仁也、我無禮也)(孟子がおっしゃった。君子が凡人と違う点は、よく反省するところである。君子は仁を基準に反省し、礼を基準に反省する。仁を持つものは人を愛し、礼を持つものは人を尊敬する。人を愛す者は常に人からも愛され、人を尊敬する者は常に人からも尊敬される。かりにここに1人の人がいたとしよう。その人が自分に暴虐無礼な態度をとったとする。この時君子ならば必ず反省し、自分は仁の心が足りないのではないか、礼の心が足りないのでないか(そうでなければ、この人が自分にこんな態度をとるわけがない)と考える)とある。
 人との接し方を仁と礼に主眼をおいて説明しており、今日においてなお我々に感動を与える内容となっている。
 同じ離婁章句下に「孟子曰く、非礼の礼、非義の義は、大人(たいじん)はなさず」(孟子曰、非禮之禮、非義之義、大人弗為)(孟子が言われた。「形は礼に似ているが実は(心が伴わない)礼でないことや、形は義に似ているが実は(心が伴わない)義でないことは、立派な人格者は行わない」
 孟子も形式的な礼を排除し、心の伴った礼を尊重した事は明白である。

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