田岡総研文書ファイル

ものを大切にする心
 古来、良家の家訓と言われるものには、表現の違いこそあれ、「ものを大切にする」心が含まれている事が多い。
 ものを大切にする心は、作者・作家の心を大切にする事であり、「人の心を大切にする」事につながる。
 さらに、「ものを大切にする心」は他人のみならず、自分をも大切にし、人からも大切にされると言う事に発展するので、人生訓や家訓としての意味を持つのである。  茶道、剣道など、あらゆる習い事でも、かつては道具を大切に扱う事が重要な教育ポイントの1つであった。
 大量生産、大量消費の今日、作家の心を大切にすると言っても現代人にはピンとこない。
 多くの人達がものを「使い捨て」にしてきた過程を、私はよく覚えている。  あれは、私が小学生の頃だった。父の飲んだカップ酒のグラスコップは、当時捨てずに取っておき、私たちはそれで水を飲んだ。歯磨き用のコップにもした。あれは普通のコップより頑丈だった。
 友だちの家でもそうだった。戦中、戦後を生きた当時の親たちにはそれを捨てる事など出来なかったのであろう。
 食べ物も大切にした。「米粒一つ残すのもお百姓さんに申し訳無い」「ばちがあたる」などどいう教育は今になって思えば、単に経済的倹約目的のみならず、心の領域に響くものを含んでいた。
 私の母などは、当時出たばかりのカップラーメンの発砲容器まで捨てずに取っておいた。
 しかし、いつしかそのことは「貧乏」っぽいと言う事で、皆んなやらなくなった。高度経済成長真っ盛りの昭和40年代半ばである。
 それ以来、私たちはものを使い捨てにしてきた。それをとがめる者もなく、当たり前の事のように感じていたし、「豊かさ」とさえ錯覚していたのである。
 今ではゴミが溢れ、自然破壊や環境問題にまで発展してきているのは読者諸兄の知る通りである。
 そんななか、今でもものを大切にする人がいる。家電でも服でも大切に扱い、何年でも使う。割り箸は使わず、自分の箸を大切にする。バイキングでは食べられる以上のものは持ってこない。そんなあたりまえの事が出来る人は今や少ないので、出会うとほっとする。家訓の示す通り、そんな人は温かい心を持っている場合が多い。
   経済的豊かさと、ものを大切にする心には何の相関関係もないように思う。  「使い捨て」ばかりやっていると、人をも「使い捨て」にし、いつか自分も「使い捨て」にされるのではないか。
 現代社会の合理主義は確かに人も物も同じように扱う傾向がある。

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