田岡総研文書ファイル

乱世の人生訓1「過ちては」
 論語、学而篇に「過ちては則(すなわ)ち改むるに憚(はばか)る事なかれ」(過則勿憚改)とある。
 人間誰しも間違える事はあるもの。過ちを素直に認め改める人間になりたいものである。
 自分の間違いをごまかしたり、言い訳をしたり、間違っていないと強情に押しとおす事ほどみっともない事はないが、私も気づかぬ内にしてしまう事がある。
 目的意識が高く、より上を見る者は、変なプライドや、他人からの評価よりも、自分が成長する事の方に関心が向き、素直になれるものである。間違いをごまかす者は現状維持に関心があるか、あるいは臆病者である(新渡戸稲造の「武士道」に「嘘あるいはごまかしは臆病者の証拠である」とある)。
 理想が高く、自分の至らなさを知り、謙虚な気持ちになった者だけが、真理を求める素直な心を持つそうである。過ちをごまかしている時の私は謙虚のかけらも無い厚顔無恥な私である。
 論語、衛霊公篇には「過ちて改めざる、これ過ちという」とある。間違いは誰にもあるがこれを素直に改めない事こそが間違いなのだ。
 また、同雍也篇には「怒りを遷(うつ)さず、過ちを弐(ふたた)びせず」事が、大切だとある。
 同子張編には「小人の過ちは、必ず文(かざ)る」(小人之過也、必文)とある。孔門十哲の1人、子夏(しか)の言葉である。「人間誰しも過ちは犯すものだが、つまらない人間は必ず言い訳をしたり、取り繕うとしたりするものだ」。
 一方、孟子、公孫丑(こうそんちゅう)章句上には「孔子の門人の子路(しろ)は自分の気づかぬ過ちを人に忠告されるとたいへん喜んだ」(子路人告之以有過則喜)として、孟子は子路をたいへん誉めている。
 子路という人物、孔子と出会う前はならず者の親分で、地方の顔役だったらしい。ある日、孔子のうわさを聞いて、講演会を邪魔しに行ったのである。会場に豚を放ち、大騒ぎとなったが、孔子は落ち着いて、子路に対し「何か意見があるのであれば言いなさい」と言ったそうである。子路が次々と意見や質問をすると、孔子はじっと子路の話しに耳を傾け、ぴたっと答える。講演会をぶち壊しに行ったはずの子路であったが、孔子の態度や話しに魅了され、結局は弟子入りする事となった。このようなならず者ほど、実は真理を求めている場合が多く、一度学ぶ気になった時には、人一倍、まじめに謙虚になるものである。孟子も、このようなガサツだか純朴で謙虚な子路が好きだったのであろう。
 私にもかつて子路のような純真無垢な心があったはずである。今こそ思い出さなければ、成長はない。

***** 著作権表示:株式会社田岡総合研究所 田岡將好 *****
この文章をコピーしたり、配布したり、社員研修等で使っても多いに結構ですが、
著作権表示を消さずにお使い下さるようお願いします。(http://www.taoka-s.com)

インデックスページへ