| 田岡総研文書ファイル |
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| 道徳 |
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道…これを教えるのが「道教(どうきょう)」であり、中国には4千年とも5千年とも言われる前から根付いております。 老子が道教の創始者であると思い込んでいる人がおりますが、実際には老子以前から道教は存在します。 私は中国に4回行きました。道教の大家に道を教わりました。最初は、なかなか理解できませんでした。あの孔子でさえ「朝(あした)に道を聞かば夕(ゆうべ)に死すとも可なり」と言ったほど、道というものを体得するのは難しいのです。 中国で色々学んだ中で、一番印象深く覚えているのは「道」という漢字の由来です。これを聞いただけで4回も中国を訪問した価値がありました。 道という漢字は首とシンニュウから成り立っております。 日本語の首は英語のネックとヘッドの両方の意味を持ちます。「首が痛い」と言う時はネックが痛いのでしょうが、「さらし首」はネックをさらすのではなく、頭をさらすのです。 「道」という漢字を構成している「首」と言う字は象形文字で、上の部分は耳の形を表し、下の部分は目の形を表しているそうです。つまり首の形はヘッド(頭)の意味であり、頭をデフォルメしてゆくと最後に目と耳が残るのです。 そして驚いたのは、シンニュウです。シンニュウの付く字は全てそうなのですが、馬を表していると言うのです(漢字辞典にはそのような説明はありません)。道は馬の上に目と耳にデフォルメされた頭が乗っている形なのです。 よって、道とは「自分の目で見て、自分の耳で聞いて、方向を定め、一度定めたら、たとえ遠い道のりであっても馬に乗って進む」という意味だそうです。 こじ付けかもしれませんが、なんともロマンチックな解釈であり、これこそが道の教えと合点しました。 道と並んで大切なものは徳です。徳とは人間性の事です。古来、徳を構成する代表的な要素として、仁(思いやり)、義(正しい事を行う)、礼(思いやりを具体的に表現する)、智(相手の心を洞察する)、信(相手を信じる)(いずれも紙面の関係でかなり簡略化しております)があります。 乱世に入ると、今までの価値観が崩れ、何を信じたら良いのかが判らなくなり、呆然とする者、ドサクサにまぎれて悪事に手を染める者など様々です。 このような時代であるからこそ、自分の崇高な道をしっかりと定め、高い人間性を発揮しなければなりません。 そして、私たちは、この「道」と「徳」を合わせて、道徳(どうとく)と呼んでおります。 ***** 著作権表示:株式会社田岡総合研究所 田岡將好 ***** この文章をコピーしたり、配布したり、社員研修等で使っても多いに結構ですが、 著作権表示を消さずにお使い下さるようお願いします。(http://www.taoka-s.com) |