7月24日朝、待ちに待ったパキスタンへの出発の日。私は朝7時ごろ家を出て千歳空港へ向かった。
 千歳空港には同行する勝木勇人さんが私よりも先に到着していた。
2人は、朝8時台の飛行機で成田へ飛んだ。成田では約2時間半の待ち時間があった。たまたま、弁護士の佐々木泉顕さんが、新婚旅行で同じ日の同じ時間、成田空港にいるという情報が入っていたため、さっそく携帯電話で連絡をとった。彼らはすでにゲートインしていたようで、会うことはできなかったが電話であいさつをした。
 午後1時くらいの飛行機でパキスタンへ飛んだ。途中、中国の北京に立ち寄り1時間半ほど飛行機の中で待機させられた。中国政府はこういった場合、飛行機から1度降りることを許さないらしく、我々は一時間半ただぼーっとしていた。
 北京をたって8時間ほど寝たり起きたりしてるうちに、飛行機はだんだんパキスタンに近い山岳地帯に入ってきた。ぼんやりと窓の外を見ていると、切り立った高い山が私の目に飛び込んできた。山々はだんだん険しくなり、この世のものとは思えない。そのうちに山頂付近に白い雪をかぶった山が次々と出現してきた。ちょうど夕暮れ時だったので、雪が茜色にそまり、キラキラと輝いている。スチュワーデスの説明で、それが有名な「K2」だということが分かった。地図を見るとパキスタンはもうすぐである。気持ちがだんだん高まってきた。

 イスラマバード空港に到着した。イスラマバード空港といってもイスラマバードではない。ちょうど札幌空港が千歳にあるのと同じように、イスラマバード空港はラワールピンディーという町にある。
 空港を出ると、低開発国ではお決まりの、タクシードライバーの熱烈な歓迎。現地時間で午後8時。あたりはすでに暗いのだが、30度を超える気温と熱狂的なタクシーの勧誘のため、夜とは思えない感じだ。
 湿気はそれほど高くないようだ。でも、とにかく暑い。とりあえずタクシーに乗り、すぐ近くのコミッティー・チョークという場所(バス停という意味?:地域の名前として使われているらしい)に行き、そこで宿を探すことにした。
 「地球の歩き方」を読むといくつかのホテルが載っていた。タクシードライバーに尋ねると、ことごとく、あまりよくないホテルだという。そして結局は彼の紹介する「ブルー・スカイホテル」というところへ連れていかれた。
 どうも怪しい。おそらく彼はこのホテルよりマージンをもらっているのだろうと思ったが、夜も遅く、とにかくシャワーを浴びたかったので、タクシードライバーのいう通りのホテルへ行った。そのホテルはエアコン付きシングルで665ルピーという。日本円にして約2千円である。とにかくチェックインした。やはりタクシードライバーはホテルからマージンをもらっているようであった。
 夜中は勝木さんと二人でホテルの付近を散歩した。
 なんとなく懐かしい匂いがする。何だろうとを探ってみると、馬糞のにおいであった。この辺は小型の自動車に混ざって、今でも馬車が使われている。
 非常に埃っぽい町である。車の排気ガスと、砂漠の砂と、両方混ざった埃のようである。
 途中、通りで大勢の男がたむろしている屋台を発見した。見てみると、なにかの葉っぱに砂糖菓子のようなものををくるんで、アマダレをつけて食べているようである。不思議そうに見ていると、店の人がひとつ私にくれた。こういう場合、食べないわけにはいかない。一口食べると、ものすごい甘い菓子であることが分かった。勝木さんにも勧めると、彼は絶対に食べようとしない。しょうがないので一気に口の中に放り込んだ。日本にはない甘さである。考えてみるとこの国の人は酒を飲まない。酒の代わりに甘いものを食べるのであろうか。
 散歩の仕上げにホテルの近くのレストランに入った。腹はあまり空いていないが、レストランに入ったいじょう、何か注文しなければならない感じであった。
 テーブルクロスのある高級店であったが、非常に古く懐かしい感じがした。今でも狸小路あたりにはこの手の大衆食堂がある。当地ではこれが最高級に違いない。
 マトンのメンチのような料理をたのんだ。1人前なのに結構な量で、2人で食べきれなく、テイクアウトした。他にお茶を1杯ずつ飲み、110ルピーといわれた。2人で約330円の食事である。パキスタンで初めて食べた料理はわれわれに安心感を与えた。この味付けなら、5日間支障無くやっていける。

 次の日、朝早く起きてパキスタンの首都イスラマバードへ行った。
 タクシーを時間借りし、とにかくイスラマバードの見どころを案内してくれと頼んだ。彼が一番最初に我々を連れていったのは、モスクであった。 やはりイスラマバードを代表する建物はイスラム教のお寺にあたる、モスクであろう。続いて彼はわれわれを国会議事堂へ案内してくれた。
 イスラマバードはそれほど見るところがない。コミッティーチョークに再び戻り、ペシャワールという町へバスで移動した。
 バスに揺られることを約4時間。・・・途中、本当に揺れた。バスのサスペンションが壊れているのか上下に激しく揺れた。私と勝木さんは一番後ろの席に座っていたので、特に厳しかった。居眠りをしながら、時々びっくりした顔をして起きる勝木さんを見ていると(失礼だが)とても面白く、笑いが止まらなかった。・・・
 やっとペシャワールに到着した。しばらく町を歩いた。途中、雨が降ってきたが、かえって涼しくなりしのぎやすかった。
 雨上がりのバザール(市場)をさまようこと3時間。勝木さんも私もパキスタンの民族衣装を買い上機嫌であった。
 ペシャワールは非常に古い町でガンダーラ時代の博物館が残っている。その博物館には非常に古い、釈迦像が展示されていた。どうもお釈迦さんはヨーロッパ人であったらしい。私たちが日本でみる仏像とは違い、鼻が高く彫りの深いお釈迦さんは、どう見てもアーリア系の顔である。
 非常に賑やかな通りがあった。原宿の竹下通りのような通りである。子供たちが面白がって私たちの後をついてくる。どうもデジタルカメラに興味があるらしい。どこの国でも子供たちは本当に可愛いい。
 この日のホテルは昨日の反動で、この町で1番高いといわれるパール・コンチネンタルホテル。スイミングプール付きで1人7000ルピー。日本円で約2万1000円。快適なホテルであった。
 シャワーを浴びて、プールでひと泳ぎ。この国では酒は「ご法度」。でも、高級ホテルでは特別「外国人」向けにバーを用意してるらしい。このホテルを選んだ理由はここにあったのだ。さっそく意気揚揚とバーに行った。
 バーといっても、お色気も、装飾もないただの「部屋」であった。飲酒許可書という書類を作成した後、がっちりとした男がいちいち慎重に棚のカギを空けて酒を出す。
 先客があった。アフガンで活躍する赤十字の人たちであった。国際政治・経済・ボランティアの話しに花が咲いた。彼等は週末になると、国境を超え、このペシャワールの町に飲みに来るらしい。
 私は所々、彼らの英語を聞き逃したが、勝木さんは違う。さすがアメリカに5年も住んでいただけあって、私の英語より2ランクぐらい上であった。流暢な英語で赤十字の人と国際問題・政治問題について熱っぽく語っていた。
 酒が手伝って熱気を帯びてきた。この間、ウオッカのボトル(小さいもの)を一本空けた我々は、調子に乗ってもう一本。本当はだめなのだが、ミネラルウオーターのペットボトルに水とウオッカを混合させ、それをもってチャイニースレストランへ行った。(このバーと自分の部屋意外では、外国人であっても酒は禁止)
 チャイニーズレストランでラーメンとチャーハンを食べ、ウオッカの水割りをごくごくと飲んで、しこたま酔った2人はそれぞれ部屋に引き上げた。
 私は(酒が禁止というので、かえって日本にいるときよりも飲んだので)かなり酔ってしまって、ソファーで寝てしまったらしい。せっかく2万1000円も払ったのに。

 次の日はクエッタという町へ向かった。飛行機に乗るときに、デジタルカメラの電池を預けさせられた。
 この国では、電池を人間が飛行機に持ち込むことを禁じているらしい。理由を聞くと、どうも以前、爆弾騒ぎがあって、その際に電池が使われていたからであるらしい。とにかく預けるように言われ、面倒くさいが従わざるを得なかった
 さて、飛行機は快適に飛び、約1時間後に空港へ到着した。私たちはここをクエッタと思い、危うく空港から外に出るところであった。(電池とリュックを預けなければ)。
 荷物を待っていると、空港の人が私たちに「どこまで行きますか」と聞いてきた。クエッタと答えると、直ちに飛行機に引き返すように言われた。危ない危ない。その町はクエッタではなかったのである。
 この飛行機は最初ペシャワールを発ったのち、途中2カ所の町に寄り最後にクエッタに到着するという。日本の旅行代理店からもそのような説明を全然聞いていなかったので、もし電池騒動がなければ、我々はとっくにタクシーに乗りこみ、訳のわからんところへ行っていたに違いない。電池のおかげで、大失敗をせずに済んだのである。
 ようやくクエッタに到着した。この町はなんとなくいい街である。第1にここは高原であり(標高1700メートルを超えている)夏でも非常に涼しい。 さらに回りは砂漠らしく、非常に乾燥しているので汗をかくことがない。聞くと、日本の軽井沢のように、この町はパキスタンの中でも避暑地として利用されている町であるらしい。旅の最後に、はからずも最高の町に到着した。
 私たちは、いつものように街を見て歩き、お茶を飲み、じゅうたんなどの民芸品を見た。 勝木さんは今度はターバンを買い、早速頭に巻いて、機嫌がいい。写真を採ってくれという。
 ホテルをとった。避暑地にふさわしい、リゾートホテルである。
 このホテルでは、夕食用に、ガーデンビュッフェを用意してある。リンゴのたわわに成る庭園で、バーベキューに舌鼓。これでビールさえあれば申し分ないのだが。
 次の日は、ホテルの車をチャーターし、郊外のハナレイクという湖を案内してもらった。
 札幌でいうと支笏湖か定山渓に当たるような観光名所である。道中、鉱山らしきところを通った。こちらのトラックは、車全体に独特の装飾や絵をあしらっており、日本のトラック野郎のようなイメージであった。
 ハナという湖はダム湖のようである。もとは砂漠のオアシスだったように感じる。湖のほとりには、オアシスという名前のレストランがあった。日本にもをオアシスという飲食店がよくあるが、こちらは正真正銘のオアシスである。
 運転手と3人でお茶を飲み、あたりをを少し歩いてからホテルへ戻ってきた。この後カラチ経由で日本に帰るだけである。名残惜しく、この町ならもう少しいてもいいと思った。

 最初は1人で行こうと思っていたのだが、やはり「旅は道づれ」。勝木さんと一緒に行ったおかげで、とても楽しい旅になった。
 そもそも、イスラム圏に一度も行ったことがないという理由だけで、ふらっと行った目的のない旅。私にはこんな旅が1番贅沢である。
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