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次の日は、早く起きた。昨日、ホテルのフロントに、タクシーを呼ぶように頼んでおいたのだが、どうも信用できないと思って、早く起きたのである。案の定、タクシーは来ない。「ここはインドだ。のんびり待とう」と思って覚悟を決めた。ホテルの外に出ると、朝日がやけに綺麗で、しかも日差しが強い。約束の時間を、15分くらい過ぎて、やっとタクシーはきた。「少し早めに頼んでおいて良かった」と思った。 今日は昨日と違って、国際線の飛行場である。飛行場に向かうタクシーの中で、私は生まれて初めて人が車にひかれるのを見た。それも大型バスにおばあさんがひかれる様子であった。 ニューデリーはどこも騒々しく、車がびっしりである。何気なく窓の外を見ていた私は、一瞬、自分の目を疑った。目の前をとぼとぼ歩いていたおばあさんを、勢いよく走り去る路線バスがひいたのである。しかもバスはおばあさんの体をまたいで、止まることも無く踏みつけて通りすぎたのである。おばあさんの体はバスの下を潜り抜けたように見えたが、後輪にも踏みつけられ、まるでマネキンの人形のようにバウンドした。バスは気がついていないのか、一行に構わない様子で、そのまま走り過ぎてしまった。おばあさんはどうなるのか、気が気で無かった。だれも助けないし、バスも止まらない。タクシーの運転手も見ているのに何もしない。私が「あ!」「あれ!」などとさっきから言っているのに、ドライバーは無表情である。少しして、近くにいた力車の若者がおばあさんの体を抱き上げた。体は痙攣していた。若者はおばあさんを自分の力車にのせ、一目散で何処かにいった。きっと病院だろう。今でも忘れられない光景である。都会の冷たさ、インドの非人道性、一方助けたのは(恐らく)貧しい力車の若者。バスは確か市営の路線バスだったと思う。インドでは人の命はとるに足らないものなのだろうか。 ニューヨークでは、雪の日に除雪が遅れて、事故があったり、人がすべって転んだだけで、市長のリコール活動がおこるらしい。日本では考えられない。 日本では車が人をひいたら、一生後悔しなければならないほど社会的制裁を受けなければならず。歩行者優先が定着している。インドでは考えられないのだろう。 (お詫び:今日は勢い良く最後まで書こうと決意していたのですが、酒を飲みすぎて、思うように書けません。ところが、何人かの方より「後半を楽しみにしている」旨 言われたので、何もしないわけには行かず、取り合えず、中途半端のままアップします。続きは必ず書きます) (久しぶりにこのペーを自分で読み返した。今は2001年3月。続きを必ず書きますと言ってもう2年になる。 記憶も風化しているが、自分のためにも書かなければならないと思った。よって2年ぶりに続きを書く。記憶が薄れて いるが、思い出したところだけでも書いて完結しようと思う) さて、それから私は、驚きを覚えながら飛行場へ行った。程なく飛行機に乗って、東のエリア「パトナ」へ。 パトナはまあまあの街だった。1番大きなホテルへ行くとラージギール行きのタクシーがチャーターできると聞いた。 ラージギールは今回の旅の目的地、グリッダ・クータのある町である。グリッダ・クータは我々仏教徒のふるさとである。 法華経によく出てくる山である。 ホテルでタクシードライバーを拾った。往復も片道も料金が同じである。当然往復にした。熱い。とにかく熱い。50度は 超えているであろう。ミネラルウォーターのボトルを2本買った。どちらもキャップが空いているが、この際気にしない。 いろいろな交渉はこの際適当にして、とにかくタクシーに乗った。ドライバーは全く英語が話せない。でもどうにか なるものである。身振り・手ぶりである。 途中、「ナーランダー」を通過した。西遊記に出てくる三蔵法師がお経を求めて行く「天竺」とは、実はナーランダー の事なのである。とにかく熱い。途中水がきれて、買いに行く。熱くて死ぬかと思った。風が熱いのである。 ナーランダーは汚い町である。ここにも「人」「人」「人」。ナーランダーを過ぎると田舎の荒野が続く。荒地ばかりである。 荒地にぽつんと真紅の陰。頭に水壺を載せたインド美人である。この辺ではよく見る風景である。彼女等は1日 何回も水を運ぶ。それが彼女等の毎日の仕事なのである。なんとものどかである。(あれから2年の歳月が経った 今、あの荒野に真紅の光景が私にとってインドを代表する光景となってよみがえる)。 さて、ラージギールについた。2500年前、お釈迦様が法華経を説いたといわれる小山に自分も上ってみた。 荒野に月が出ていた。満月であった。私は2500年前を思った。おそらく2500年前もここはこれと同じ風景 であったに違いない。荒野以外何もないのである。私はしばし仏陀と語り合った。 続いて「ブッダガヤ」に向かった。真っ暗であった。道は穴ぼこだらけであったが、ドライバーは慣れた手つきで ハンドルを裁いた。ブッダガヤに着いたのは深夜であった。ドライバーは何も言わないのに、ブッダガヤの1番 高級なホテルへ私を連れていった。疲れていたし、はやくシャワーを浴びたかったので、そのままその「アショカ」 というホテルにチェックインした。 私はタクシードライバーの分も部屋を頼んだが、駄目だと断られた。支配人が言うには、ドライバーは外で寝る のだそうだ。私が払うのだから、彼にも1部屋用意するようにと強く言ったが、それでもだめだった。 この時始めて私は、インドに根付く「カースト制度」が今もなお存在する事を実感した。 夜中、中庭に出た。タクシードライバーが仲間と一緒に中庭で寝ていた。話しかけると、相棒もタクシードライバー のようだ(私はインド語を知らない。彼も英語を全く話せない。今から思うと、どのように意思の疎通が実現 したのか理解できないが、確かに彼は、相棒の事を「ドライバー」と言っていたと記憶する) 私が夜の散歩をしようとすると、ドライバーが着いて来る。「こなくてもいいよ」と言ったのに、私の事が 心配なのか着いて来る。犬が現れた。大きな犬だ。鎖に繋がれていない。一瞬緊張した。付いてこなくてもいいと 断ったドライバーが犬を一生懸命追い払ってくれた。 私はその夜、タクシードライバーと(彼が知り合った同業者と)一緒に中庭で寝た。夜の風は生暖かく気持ちが よかった。 次の日朝起きてびっくりした。前の日は深夜であったから気がつかなかったが、私の目の前に、驚くほどおおきな塔が立っていた。仏陀を祭った塔のようである。塔のそばには、仏陀が始めてさとり を開いたといわれる菩提樹の木。その近くには仏陀がさとりを開いた後に行水したといわれる蓮の池があった。
ブッダガヤを一通り見た私は、タクシードライバーと共に来た道をもどり、パトナーから再びデリーに帰った。デリーに再び帰ったわたしは、もう思い残すことはないと思い、屋台のカレーライスを思う存分食べた。屋台の カレーライスはそれまで食べたどのカレーライスよりも格段うまかった。 インドに行った人に「もう1度行ってみたいか」と質問したら、「せび、もう1度行きたい」と言う人と、「もう2度と 行きたくない」と言う人に極端に分かれると聞く。私は前者である。 (尻つぼみの感があるが、やっと完結した。次の年は 文章が面倒なのでビデオにした(キューバ:2000年)。今年は4月16日より、コロンビアに1人旅する。コロンビアは 文章にしたい) |