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 大学3年生の時、友人がインドへ行った。以来、私も機会があれば、っと思っていた。「機会があれば」は大抵、成就しないものである。去年の夏パキスタンから帰ってきた時に、今度は「来年はインドへ行こう」と決意した。
 今年に入って、仕事量が増えた。スケジュール手帳を見る度に、気が滅入ってきた。人間は勝手なもので、暇だと心配になるくせに(特に私のように自分で仕事をしている者は)、あまりにも仕事が多いと、これまた虚無感におそわれる。
 今年は特に4月に入っても仕事量は減らなかった。例年だと、2月〜3月がとても忙しく、4月とか5月に入ると少し暇になるのであるが、今年は次々と仕事が入る。今まで仕事を断った事は、ほとんど無かったのであるが、今年は大きな仕事を1件断った。
 4月に入るとだんだん焦りが出てきた。「本当に私はインドへ行くのだろうか」「行けるのだろうか」など。迷いを打ち消すように私はとにかくスケジュール手帳に書きこんだ。まとまった時間が取れそうなのは5月27日〜6月1日までの6日間。それも2件の仕事をキャンセルしてである(他の日であればもっと仕事をキャンセルしなければ行けないし、そもそもキャンセルできない仕事が多い)。もちろん、こんな自分勝手なスケジュールに合わせられる人などいないから、今回は1人旅である。手帳の該当する日付を「インド」という文字で塗りつぶしたら、なんとなく、インド行きが実現しそうな感じになってきた。「この期間には絶対に仕事は入れないぞ」。
 気の変わらぬ内に旅行代理店へ電話。旅行代理店からファックスが届いた。気を利かしたつもりだと思うが、至れり尽せりの29万円の旅行であった。「私は全て1人でやりたい。往復の飛行機券だけで結構」っというと、全日空の10万円のチケットで事足りた。(札幌〜成田〜バンコク〜デリー〜バンコク〜成田〜札幌)今度は対照的に、あまりに安く感じたので、オプションでインド国内の移動(デリー〜パトナ往復飛行機)もついでに頼んだら、3万何がしであった。国際便に比べると比較的高く感じたが、自分で手配する時間がなかったので受け入れた。

 だんだんと、出発日が近づいてきた。「地球の歩き方」を見てびっくりした。デリーはなんと5月が年間で一番暑く、50℃に達する日もあるそうである。なるべく涼しいうちにと思って5月末にしたのに、裏目に出た。しかし、これも体験である。私はかつて43℃をアメリカで体験した(キーウェスト:約16年前)今度は体験気温の新記録更新である。そう思うとわくわくするものである。
 出発の当日にテレビ出演の依頼が入った。出発は午後なので承諾した。知人が「インドという国は縁のある人しか行けない国で、縁のない人は行こうと思っても、何かが起こり絶対に行けない」などと言う。テレビ出演が終了して、一度自宅に帰った。旅の準備をしていると、テレビニュースで「東京が台風に襲われている。どこかのゴルフ練習場のフェンスが倒れ住宅が半崩壊した」などといっている。それでなくとも昨日の新聞では、パキスタンがインドとパキスタンの停戦地帯に軍隊を送った(正確にはパキスタンが支援する部隊が停戦地帯に侵入した)と言うことで、インドは空爆で報復した事が明らかにされた。気になって今日の新聞を見ると、今度はパキスタンがインドの空爆に対し、戦闘機を2機撃墜した(インド側の発表では1機)とある。印・パ間の緊張は熾烈を極めているようである。「自分は縁のない人間なのか」っと、一瞬不安が走る。
 全日空に電話をしてみた。札幌・東京間の飛行機は出発がかなり遅れているものの欠航にはなっていないという。「よし、いくぞ!嵐が吹こうが、槍が降ろうが…」。リュック1つだけ肩にかけ、颯爽と千歳空港へむかった。

 千歳発羽田行きは、結局1時間の遅れで出発した。札幌からのインド行きは不便である。成田で前泊しなければならない。私は成田が嫌いで、国内経由なら関空を使っている。関空がだめなら、ソウルでもいいと思っている。羽田から成田までの移動がたまらなく嫌なのである。でも、気を取り直して成田へ向かう。成田ではホリデー・インに泊ることになっている。先ず成田空港まで行って、それから無料のシャトルバスでホリデー・インに入るのであるが、夜の成田空港は不気味である。日本ではなくどこかの社会主義国家の計画都市のような薄気味悪さがある。(とは言っても現時点で社会主義国家と呼べるのは日本くらいであるが)
 私は学生時代に三里塚の団結砦に居た事がある。今は壊されたが思い出すだけで背筋が寒くなる。機動隊と渡り合う恐ろしい体験である。結局あの戦いは何だったのか。農民中心に、学生が加勢して成田空港2期工事を阻止したが、今の成田を見ると、たとえ反対しなくとも、たいした空港にはなっていなかったであろう。とにかく不便である。空港施設が3箇所にも分かれでいる。設計者の傲慢さがにじみ出たこの空港は、いつか廃港になるのではないだろうか。国際的に見て、空港から目的都市まで3時間もかかる所はない。シンガポールがなぜ国際都市として発展しているのかは東京と比較してみればすぐにわかる。
 ホリデー・インでしこたま飲んで寝た。翌朝は8:00にチェックアウト。10:30の飛行機である。少し早めに空港に着いた。飛行機に乗ったら寝よう。私はいつもそうである。機内は寝る場所と決めている。

 機内に入ると冷房が効きすぎて寝られない。客室乗務員に「もう1枚毛布を下さい」というと「ご気分でも悪いのですか」と言われた。冷房が効きすぎて気分が悪いのである。恐らく客室乗務員は動いているから暑いのであろう。周りの人も皆んな寒がっている。彼女等にとって冷房は自分達の為のものなのであろう。毛布を2枚まとってどうにか寝た。

 寝ているとバンコクで起こされた。一度降りれという。面倒くさいがバンコクの空港で30分待機。また同じ飛行に乗り込んだ。成田で乗ったときと乗客が少し違う。日本からバンコクへ行った人が降りて、バンコクからインド(デリー)ヘ行く人が乗り込んだので、顔ぶれが少し変化しているようである。食事をしてまた寝た。よく寝られるなぁ、っと自分でも感心するほど、私は機内で寝ることができる。
 ガタゴト音がして目が覚めた。もうインドに到着している。さっきほんの少し目が覚めた時、ビデオ・スクリーンに映し出された地図(飛行機のマークで現在の場所が判る)ではまだバングラデッシュあたりであった。寝ている間にかなり進んだようだ。シートの背もたれを直すように言われ、あわてて直したら、程なく滑走路に着陸した。まだ外は明るい。私の時計では夜の10:00(だったと思う)近いのだがインドではまだ18:00だと言う。さっそく腕時計を現地時間に直した。
 飛行機の外に出るとき、相当な暑さを予測して身構えたせいか、外はそれ程暑く感じなかった。無事に入国審査を終えて空港の外へ出る前に空港内の両替所で両替を。5万円を出すと受付は他の職員の方を見て冗談を言うような顔つきでなにやら言っている。どうも5万円について何かを言っているのだろうが意味が判らない。意味が判ったのは現地通貨ルピーを受け取った時である。日本のお金に例えると、100万円の束のようなものが2束、後はバラの札束である。とても財布には入りきらない。5万円くらい両替する人は他にいくらでもいるのであろうが、彼等はその度に外国人の驚きの反応を予想して面白がったり、少し羨ましいような、一方ではやってられないというような表情をして見せるのであろうか。それにしても私は瞬間的に金持ちになったようだ。身を引き締めて「いざ、空港の外へ」。
 去年のパキスタンほどタクシードライバーの熱烈歓迎はない。2〜3人のドライバーから勧誘を受けたが、パキスタンでは同じ時間内に10人くらいの熱心な勧誘があり、ドライバー同士が客を取り合って喧嘩したものだ。
 ニュー・インダス・インターナショナルという現地の旅行代理店の人と会う事になっている。インド国内便(3万何がし)は結局、デリー空港で現地提携先旅行代理店から直接配布されることになっていた。
 無事にデリー発パトナ行きの航空券(明日出発・帰りはあさっての午後)を受けとって、デリーに向かう。その旅行代理店の人がプリペイ・タクシーの乗り方を教えてくれた。空港にカウンターがあり、そこで目的地を言う。定額料金を支払い、支払い証をもらい、タクシーに乗り込む。目的地に着いたら、その支払い証を渡せば終了。ドライバーとの駆け引きも、交渉もいらない。安全便利なシステムである。ニューデリーの駅前までは175ルピーであった。(約500円)
 現地旅行代理店の人は、しつこく「インドでは気を付けるように」「インド人は嘘つきだから信じないように」とか「この前も日本人観光客が1人殺された」だのと言って脅かす。親切で言っているのだろうが、私は今まで色々なところを旅して、そのような噂もよく聞かされたが、実際にはそれ程怖い目に会ったことは一度もない。やられる奴は何処か抜けているか、本人にも落ち度があるものである。ニューヨークのハーレムでも、ベトナムでも、私は色々な所を歩いた。いつも一人で。自分が何もしなければ誰からも何もされない。

 一度だけニューヨークの地下鉄で日本人の若いカップルが5人組の黒人集団(私は基本的に彼等を「黒人」とは呼ばないのであるが、読者に判りやすいようにあえて「黒人」という表現をとるが実際には「黒人」であっても「白人」であっても趣旨に変わりはない。地下鉄がAトレインといって、ハーレムとダウンタウンを結ぶ線だったので、当然乗車客のほとんどが黒人であった)に襲われるのを見た。日本人の若い男は、いかにも高そうな一眼レフカメラをむき出しで首からさげ、両手に高そうなバッグをもっていた。連れの女性も同じようないでたちであった。ブランドに身を固めたカップルであった。
 その時私は学生の貧乏旅行中で、ニューヨークに既に3ヶ月程住んでいたころで、お金も底を突きかけていた。だから私でさえ、こいつ等をどうにかして金を巻き上げたい、と思ったほどだ。
 ハーレムには貧乏人が多い。私も貧乏であったから、貧乏人の気持ちはよくわかる。貧乏人の前で高級なカメラを見せびらかすこと事体が非常識なのだ。
 男は細くていかにも弱そうだった。黒人集団は日本人男性に「ヨー、いいカメラ持ってんじゃん」と言ってからかった。日本人男性は英語が判らないらしい。無視して逃げようとした。すると別の男が「なんで逃げるんだよ」っと。日本人は緊張して動けなくなっている。そのうち一人の黒人が日本人男性のポケットに手を入れた。男は黙って身じろぎもしない。私は少し様子を見ていたが、からかいがエスカレートしてゆく。私は彼等に近寄っていた。不思議と、自分には彼等日本人と同じ目にあうというイメージは全くなかった。(私は当時ハーレムにステイしており、当然ステイ先は黒人の家で、友達も皆んな黒人だった)するとリーダー格の黒人が私のほうを睨み、「友達か」と聞いた。「違う、でもおまえ等は何をしようとしているんだ」。「関係ないだろう」。そのうちに誰かが奥の方で「ポリース!」と叫んだ。ドアが空いて、彼等は一目散で逃げていった。警察が入り込んで事情を聞き始めた。私は関わりたくなかったので遠くで様子を見ていた。日本人カップルはそわそわと逃げ出した。女が「怖かった」といって泣きそうな顔をしていた。男の方も泣きそうだった。私に感謝の言葉もない。こんな奴等に関わって、万が一命を落としたら、っと思うと今でも「関わらなければ良かった」っと思う。
 悪さをする奴等も必死なのだ。彼等のような日本人が「地球の歩き方」などに投稿して「ニューヨークの地下鉄は怖い。乗らない方がいい」などというのであろう。(この話は18年前の事である。今はニューヨークの治安は抜群によく、ハーレムに住む人達の生活も改善し、地下鉄も全く安全である)

 さて、話しはデリーの空港にもどる。デリーで航空券を渡してくれた現地旅行代理店の男の忠告を尻目に、さっそくデリー市内へ。だんだん薄暗くなってきた。先ずは今日の宿を探さねば。当然、日本で予約などしていない。どんな町にもホテルはあるものだ。
 ニューデリーの駅前に着いた。
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indo.yasai.jpg 全くイメージが違っていた。ニューデリーの駅前は掘建て小屋と地べたに座り込む露天商が何千人も何万人もたむろする所だ。
 例えて言うなら、初詣の夜中の北海道神宮に、バイクや小型のオート3輪、自転車が所狭しと行き交うような光景である。しかも彼等はクラクションを鳴らしっぱなしで、マナーも悪い。道を横断するにも信号がなく、手を上げても車は決して止まらない。

 町は全体に橙色である。暗くなったので裸電球の橙が目立つのである。といっても決してロマンチックではない。暑い。汗臭い。埃っぽい。うるさい。色々な人が変な英語で話しかけてくる。しつこい。私の腕を掴む。べっとりしている。ハエが多い。というよりハエだらけだ。なんと牛がいる。道の真中に牛がいる。こっちにも。あっ、あそこにも。
 今まで行った町と比べてみる。やっぱりイスラマバード(コミッティー・チョーク)に一番近い。車の感じはバンコクにも近いがバンコクの方が街らしいし、車もバンコクのほうが上等だった。ベトナムも力車が多く、似た感じであったが、ホーチミンはもっと進んでいた。ビルがあったし。でもここにはビルは無い。シンガポールは東京よりきれいで進んでいた。ソウルは東京と同じ。上海には高島屋があった。マレーシアは逆に民家以外は何も無かった。やっぱりパキスタンとほぼ同じだ。違いは密集度くらいであろう。インドのほうが人も多いし、店も密集している。
indo.sato.jpg  サトウキビをジュースにして売っている店がある。これもパキスタンで見たような気がする。


 とにかく宿である。「地球の歩き方」によると、駅前からメインバザールに入ってすぐに「ゴールド・リージェンシー・ホテル」があり、新しくて立派、大理石がすばらしい、エアコン付きで約800ルピー(約2400円)とある。こんな掘建て小屋しかないところに、そんなホテルがあるのだろうか。とにかくメインバザールへ。メインバザールといっても道幅3メートルくらいの路地である。左右にはびっしりと、服やとか、靴屋、骨董品屋などが並んでいる。ホテルは見つからない。
 やっと見つけた。間口が60センチ位の通路で、奥に入ると確かにホテルであった。でも地球の歩き方に書いているほど高級感は無い。部屋を見せてもらった。一応エアコンが付いているようである(後で気づいたのだが、動かなかった)。部屋にカギもあるし、とりあえずチェック・インした。このときは「地球の歩き方」の情報は少しインチキだと思ったが、後で他のホテルを見てみると、このホテルがいかにこの界隈では高級ホテルであったかを思い知らされた。何と50ルピー(約150円)から部屋はあるのである。掘建て小屋の屋根裏みたいな部屋であり、学生の貧乏旅行者が(かつて私がそうだったように)定宿にしているようである。(ここから力車で5分も行けば「コンノート・プレイス」というダウンタウンがあり、その辺には本当の高級ホテルがあるらしいが)
 部屋に付くとどっと汗が噴出した。シャワーを出すと水しか出ない。でも、例えお湯が出たとしても使わないであろう。夜だと言うのに40℃はあるのだから。シャワーを浴びてすっきりしたところで貴重品だけもって、街へ出た。やはり若さか、外に興味がわく。夜の町に一体何があるだろうか。自然と気が高まる。

 メインバザールを歩いた。どんどんあるいた。どこまでいってもバザールだ。金曜日の夜8:00ころ。活気に満ちている。人、人、人。牛、牛、牛。裸電球。熱風。掛け声。
 細い通りに出た。ここは野菜を売るバザールである。狭い路地の両側にムシロを引いて、えんどう豆のようなもの、たまねぎのようなもの、生姜のようなもの、なにやらカレー粉の原料のようなものなどを売っている。野菜の色が、裸電球に照らし出されて美しい。買い物をするサリーを着た女性と売り子の価格交渉に活気がある。ずーっと奥まで野菜市場だ。どこまで続いているのだろう。奥のほうまで入ってみた。
 突然、電気が消えた。一瞬、何が起こったか判らなかった。停電だ。本当に真っ暗で、鼻をつままれても判らないとはこのことだ。人の気配は感じる。通りを歩いている人達は平気に歩いている。そのうち、いくつかの店に小さな明かりが灯った。ろうそくの灯りである。手回しがいい。恐らく停電は日常茶飯事なのであろう。薄暗い中をとにかく他の人と同じように歩いた。
 突然目の前に黒い物体が踊り出た。ぶつかりそうになって、一瞬顔を伏せた。真っ黒で大きな物体である。良く見ると牛の尻であった。
indo.usi.jpg  その内に店の灯りがどんどんと明るくなっていった。アルコールランプやカンテラを持ち出してきたからである。そして以前にも増して元気良く掛け声をかけ始めた。商売はまだまだ続くのである。
 野菜通りを戻り、別の路地へ。どこまでいってもバザールは続くようである。だんだんと通りが狭くなり、人1人通るのがやっとの小道を抜けると、また店が並んでいる。この辺は町全体がバザールのようである。道に迷ってもなんとなく平気な感じがする。子供が多く、危険な気がしない。子供達が道端で鬼ごっこをしている。どこの国でも子供達は元気である。
 うろうろしながら、ホテルの方へ戻り、今度はホテルの反対側(駅側)へ行ってみた。こちら側は食堂街があった。狭い路地に露天のような食堂が何件も建ち並んでいる。店の外に(と言っても、壁や戸が無いので、どこまでが店の中で、どこからが店の外か判らない。一応屋根のついている部分が店の中であろう)ガス台を出し、勢いよく、カレーを煮えたぎらせている。そして、大きな声で呼びこみをしている。私のほうにも声をかけ、誘っている。何と言っているのか判らないが、手招きをしているので判る。きっと、「美味しいよ」などといっているのであろう。時折英語で話しかかる人もいる。「グッド」とか「チープ」とかと言う単語が聞き取れる。よほど入ろうかと思ったが、食欲がわかない。暑いからであろうか。衛生面も気になる。初日から腹を壊したら、後の旅がつまらない。屋台料理は最終日にしよう。
 一度ホテルに戻った。さっきは気づかなかったが、ロビーにパソコンがおいてある。触ってみたら、インターネットに接続できる。係員のような人が寄ってきて、1時間50ルピー(約150円)だと言う。50ルピー払って操作してみた。田岡総研のホームページにアクセスしてみた。ちゃんと画面が表示される。日本語の部分は(当然、日本語フォントが搭載されていないので)文字化けしているが、最初のロゴ(イメージ)はちゃんと表示されている。なんとなく照れくさい感じがする。世界のどこからでも私のページが見られるのである。
 明日行く、パトナやラージギール、ブッダガヤの情報を検索してみた。交通アクセスなどの情報が入手できた。今やどこでもインターネットが使えて、リアルタイムで情報収集が(もちろん配信も)できる時代である。インドは他の点では遅れているようなのに、インターネットだけは、こんな安宿街でも使えるのである。遅れている分野と進んでいる分野が同居している国なのか。
 レストランで軽く食事をして(マトンカレーとライス)から、部屋に戻って寝た。明日は目的のラージギールである。

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